こんにちは、読書狂いのたろう(@taro_131)です。

伊坂幸太郎、好きです…
伊坂幸太郎のデビュー作、「オーデュボンの祈り」の書評記事です。
伊坂幸太郎と勧善懲悪
「オーデュボンの祈り」の話の前に、伊坂幸太郎と勧善懲悪のお話を少しします。
伊坂幸太郎の作品を読むと
・スカッとする ・スッキリする ・幸せな気持ちになる
なぜかというと、【勧善懲悪】が徹底されているからですね。

勧善懲悪の作品は安心感があります。
たしかに、ハラハラドキドキする物語も面白いです。
しかし、
「絶対ハッピーエンド読み終わって幸せを感じたい!」
ってときもありますよね。

そんなときは伊坂幸太郎です。
「オーデュボンの祈り」とソクラテス
「オーデュボンの祈り」の世界を楽しむためには、善と悪の狭間みたいな価値観が非常に重要です。
登場人物たちがそれぞれの価値観で行動しています。
そして、だれも間違ってはいない。
・ソクラテスの【善く生きる】の精神で生きる人が多い
・暴走したカント主義を貫く人
・十字架にかけられた自己犠牲の人
この辺りの哲学者のことに思いを馳せると、「オーデュボンの祈り」世界に入り込めます。
さくらとカント
「オーデュボンの祈り」の世界の番人の「さくら」は、カント主義で行動しています。

さくらは唯一、武器を持ってます。
ちなみに、「さくら」の発音は普通の花の桜と同じです。
「さくら」が悪と判断した人間は、「さくら」に殺されます。
あくまで私の主観ですが、さくらは【暴走したカント主義者】ですね。
案山子とイエス・キリスト
「オーデュボンの祈り」に登場する案山子は話します。
そして何でも知っています。
過去も現在も未来も知っています。
しかし、殺されます。
案山子さんが殺されることは必然だったんですね。
必然的に殺された案山子さんの姿に、イエス・キリストが重なります。
案山子さんも十字架にかけられていますからね
「オーデュボンの祈り」と哲学
「オーデュボンの祈り」には哲学の要素が各所に散りばめられています。
1度目は純粋に読み、
2度目は哲学の観点から読み返すと、新たな気付きがあってとても面白いです。
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